熊野修験奥駈修行 出迎えの記 2024.09.08
山仲間で私の兄貴分の松本良さんに誘われ、表記の目的のため、吉野山まで行ってきました。
熊野修験奥駈修行のサポートをするのは14年ぶり。
寝屋川市から吉野山下千本の駐車場まで1時間半。
駐車場には既にサポート隊が十数名ほど集合していました。
14年も遠ざかっていると知っている人はほんのわずか。
松本良さん、邦子さん夫妻以外では新宮市の森さん(元新宮市役所)、沖崎さん(新宮山彦ぐるーぷ会
長)、田辺市の坂本さん。
良さん夫妻を除けばいずれの人も14年から20年ぶりの再会です。
その日の行動予定は四寸岩山下山口まで車で行き、今朝早くに山上ヶ岳を出発した奥駈隊をそこで迎
え、そこから新たに奥駈隊に加わる人たちは金峯神社、水分(みくまり)神社を経て、吉野の町に入り、
桜本坊、喜蔵院、東南院などの修験寺でそれぞれ勤行して金峯山寺の蔵王堂を目指し、私と良さんは
車で金峯神社と水分神社だけ伴走し、あとは蔵王堂で待ち受けます。
下山口で待つサポート隊。行者装束の人たちはここから蔵王堂までの7キロの道を奥駈隊と一緒に歩き
ます。
午前12時10分、四寸岩山下山口に奥駈隊が到着。
花井淳也さん、導師高木智英さん、荒行をされる女性行者の成田瀧英さんらが次々と林道に降りてきます。
画面右側から二人目のこちらを向いているのが森奈良好さん。
末尾の動画参照のこと。
成田瀧英さん。手に持っているのはサポート隊が用意したスポーツドリンクとマスカット。
ここから奥駈隊に参加した人たちの中に新川徳勝さんがいたことは私にとって大きな喜びでした。
彼は2010年のときに初めて奥駈修行に参加したのですが、岩手県大船渡市から何と、軽自動車で一般
道路のみを走って2日間かけてやってきたのです。
2010年のときの写真
花井さんと。
新川さんはこの修行を終えたあと、献血をしに明日は大分県、そしてその次は愛媛県に行くとのこと。
献血をやりに全国を訪れているみたいで、いつかその詳しい話を聞きたいものです。
奥駈隊が出発します。
2キロ先の青根ヶ峯からは林道を離れて山道の歩行。
金峯神社到着の画像はありません。
動画を参照ください。
金峯神社の駐車スペースは狭いので私と良さんは車を”義経の隠れ塔”の最寄りの駐車場に置いて隠
れ塔を経て金峯神社に行きました。
兄、源頼朝と不仲になった義経が吉野山に逃げてきたときに隠れた塔だそうです。
義経が吉野山に逃げてきたことは事実で、義経と別れた静御前が蔵王堂で鎌倉方に捕まったことから
義経の吉野山潜入が判明することが鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』に残されてます。
しかし隠れ塔のエピソードは資料的裏付けがあるのかどうかは私は知りません。
金峯神社の映像は撮っておらず、動画を参照していただきたいのですが、ここで旧知の中世古さんに
出会いました。
三重県から駆けつけてくれたのです。
手前、松本良さん、右隣、中世古さん
吉野山で一番美しく静寂な雰囲気を漂わすと私が思っている水分(みくまり)神社。
子授けの神社として有名で、この暑い日にも二人の若い男女が訪れていました。
14年前までは女性の神主さんがおられ、熊野修験の勤行のときはこの長廊の左端のところに鎮座され
ていましたが、今は無人の社となっています。
ここから滋賀県まで用事があるという中世古さんは去って行ったのですが、彼の車はスポーツカー。
蔵王堂到着
熊野修験はこのあと、大峯75靡きの最終地点、吉野川畔の「柳の宿」まで車に分乗して行って満行と
するのですが、歩行的奥駈の最終地はこの蔵王堂です。
最前列左から4人目が成田さん。ひときわ小柄な姿が目に立ちます。
奥駈修行吉野山入りの動画